SNSコンサルタント阿部良克ブログ

山形を拠点にSNS活用で集客、売上アップコンサルタント。@nmechanet 中の人です。ブログではSNS活用事例など載せています。

雨ニモマケズ

夏の暑さには負けるワタクシよすにぃです。

つい先日、家族で霞城公園へ行ってきました。

じつはなにを隠そう【霞城公園内にある城跡に行くのはじめてなんですワタクシ・・・】

おまえ何年、山形市いるんだよっ!(3年目...ボソ)

そんな声が聞こえてきそうですが、行動範囲自体狭いオイラ。しかもインドアだし、ウォーキング以外はあんまり外に出ない・・・

どちらかというと外見に似合わず、読書とかDVD鑑賞なんぞしているほうが多いです(笑)

そんな俺までも動かしてしまう

今回の本来の目的。

それは・・・

 

 

 

実はここ【霞城公園】は知る人ぞしる【ポケモンGO】の聖地(白目)

ちゃっかり城跡見学もしつつポケモンゲットだぜっ!

あ、息子

あ、息子だ(笑)

 

それにしても朝と違って日中は暑いのなんのって・・・

ほんと、夏の暑さだけは負けます。

ちなみに、霞城公園はポケスポットが無数にあり散策しながらポケモンゲットしつつレアなモンスターもゲットできるかもしれません。お試しあれ。

 

山形市霞城公園情報 霞城公園(山形城跡) 山形城は、最上氏の祖斯波兼頼が、延文2年(1357)に築城したと伝えられている。兼頼の子孫は、その後最上氏を称して、代々居城した。最上氏11代当主義光の代に、関ヶ原合戦の戦功により、57万石の大々名となり、実質100万石の城下町として山形は繁栄した。 しかし、義光の孫・家信(義俊)の代に、家中不取締りの罪により、最上氏は改易され、その跡に鳥居忠政(24万石)が入部したが、忠政は山形城の本丸・二ノ丸を改築したので、現在の二ノ丸跡は、鳥居氏時代の遺構といってよい。 鳥居氏の以後、城主は11氏(幕領2回)が頻繁に交替し、最後の城主水野氏は、僅か5万石で明治維新を迎えた。 現在は、二ノ丸塁濠を残すのみであるが、戦後の昭和24年に、霞城公園として一般に開放された。また昭和61年5月に、本丸及び二ノ丸跡(霞城公園)と三ノ丸跡の一部が、国の史跡に指定されている。 二ノ丸東大手門は、市制100周年記念事業の一つとして昭和62年に着工し、約6年の歳月を費やし、平成3年3月、史実によって木造建築で復原され、名所の一つとなっている。 場所 山形市霞城町1-1 電話 山形市公園緑地課 023-641-1212 交通 JR山形駅から徒歩10分程度 時間 4月~11月/5:00~22:00 12月~3月/5:30~22:00 定休 無休 その他 霞城公園(国指定史跡) 霞城の桜(天然記念物) 日本百名城(公益財団法人日本城郭協会・平成18年4月6日認定) 日本の歴史公園100選都市公園法施行50周年等記念事業実行委員会・平成18年10月27日認定) 駐車場の有無 あり 駐車場 230台(2014.9現在) ※その他周辺に有料駐車場有 ※自動車は「霞城公園北門」からのみ進入可 引用元:http://kankou.yamagata.yamagata.jp/db/cgi-bin/search/search.cgi?panel=detail&d01=877